inthisfucking.world

💩🌎

振る舞えない子供を連れてくるな

私には、日本の親は自分の子供に対して躾ができていない様に見えている。米国に長年住んで、これが日本に帰ってきたことで感じるカルチャーショックの中で一番酷い部分だ。

この記事では、公の場にて泣き喚く自分の子供に躾らしい躾をしない親に関しての愚痴を書きます。

日本と米国における子供に対する躾の違い

“日本の親は何故自分の子供を躾けないのか”、”泣き喚く子供を放っておくのは何故か”。私は随分とその理由を知ろうと色々調べた。しかし、それらの文章で検索しても私が期待している答えは見つからなかった。それもそのはず、本人は躾をしているつもりなのだ。

カフェやレストラン、ショッピングモールにて大声で泣き喚く子供とそれに対して何にもしない親。仮に何かするとしても、決して叱っているとは思えない口調と声質で”静かにしなー。怒られるよー”と言うくらい。当然子供は泣き止まない。そりゃそうだ。何にも怖くないし言うことを聞く理由がない。叱られている認識すらないだろう。私はこれは異常であると認識している。これは、米国で見てきた親の子供に対する躾と大きく異なる。

私は20年程米国に住んでいたが (Los AngelesとNew York)、米国で泣き喚く子供を殆ど見かけたことがない。見かけたとしても、親が即座に叱り泣き止ませる。その20年程の間、カフェやレストランで子供が煩いと感じたことなどほぼ無い。それが当たり前だったのだ。しかしどうだろう、日本ではほぼ毎日泣き喚く子供に出くわす。そして毎回親も叱らない。

私は理由が知りたかった。何故叱らないのか。叱らない教育などというものを信仰している様だったが、そうだとしても何故それを信仰しようと思うのか。理由が知りたかった。”子供は泣くのが仕事”という決まり文句も見飽きた (仮に仕事なら賃金を払えよと思うが)。私は、子供が泣くのは仕方がないと思っている。子供は泣くのだ。そしていつ泣くかも、何故泣くかも分からないことが大半だろう。だからこそ、なんでそんな子供をカフェに連れてくるのか理解できないのだ。

ある時、私の持つ親の子供に対する躾の概念が米国のそれを基準にしていることに気づき、検索の仕方を変えてみた。日本で子育てをしていた親が米国に転勤や移住することになって、そこで躾に関して気づいたことを記事にしていたり相談していないだろうか。これは実に成功だった。

まずはこの記事。日本の学生に対して、米国のホームステイを斡旋している会社による、日本と米国における”しつけと教育の差“に関する記載である。

大人は、幼少時から子供に対しても、人格を持つ一個人として常に対等に接し、特に、社会的マナーや公共道徳などのしつけを厳しく指導し、他人に迷惑をかけることがないようにしつける。子供が非礼をおかしている時や、マナーやエチケットなどの公共道徳の違反に対しては、親だけでなく周囲の大人も注意することが見られる。子供だからといって寛大に扱われることはなく、幼少の頃から「他人に迷惑をかけない」という社会性や公共心を厳しくしつけることによって、自立を促す。子供は親や周囲の大人達の言うことをよく聞き、甘えることのできない精神的自立を、幼少時のしつけの中から要求されている。

これが私が期待していた躾である。日本の人には、米国の親が”社会的マナーや公共道徳などのしつけを厳しく指導”することなど想像できないだろう。何故か、米国は躾に関しても”自由”であると認識されている節がある。ここで言う”自由”とは、”自由奔放”の自由だ。子供は子供の好きにさせていると思われているが、とんでもない。めちゃくちゃ厳しいのだ。米国の高校の同級生が、”18歳になったから実家に住むのに家賃を払わなければならないので、友達とルームシェアして実家を出た”という話をしていて驚いたものだ。少し話が脱線したが、私の持つ、親の子供に対する躾とはこれである。それが故に、私には日本の親は子供に躾をしていないと思うのである。

この差を踏まえて、実際にこの差によって生じた問題を体験している日本で子育てをしていて米国に住むことになった親の相談などはないか。これが良い例だったので共有する。

現地の幼稚園に通う5歳の息子がいます。息子は日本にいる時から建物内で走り回ったり、わんぱくすぎるところがあったのですが、こちらの幼稚園の先生から「暴力的でマナーも悪い。問題があるのではないか。」と言われてしまいました。先日はクラスの女の子の髪の毛を引っぱって泣かせてしまいました。もちろん厳しく注意しましたが、まだ子供のことで、まわりがあまりにも過剰に反応している気がします。どうすればよいでしょう。   (マサチューセッツ州、滞米1年の母)

この相談を受けた時、これは日米の子育ての典型的な相違点を象徴している問題ではないかと感じました。「小さな紳士を育てる」ことを男の子のしつけの基本にしているアメリカでは、たかが遊びの中やどんなに小さい出来事であっても、「暴力は絶対に許されない」ということを小さい時から叩きこみます。これは日本だと「わんぱく」で済むことが、こちらでは「暴力的」と受け取られ、また「たかが子供のこと」が「子供のうちから暴力的傾向がある危険サイン」と懸念されてしまう可能性があるということです。例えば日本で幼児が泣きわめいてお母さんの顔を叩いたりすると、「そんなことしちゃだめでしょう?」程度で済まされますが、アメリカでは厳しく叱り、罰を与えることさえあります。本来子供が親に向かってそのようなことをするのはどの国でも許されないことで、厳しく叱りつけるのが当然でしょう。息子さんの場合、女の子に攻撃的な行為を行うなどは論外で、どんなに小さくても「将来の要注意人物」として警戒されてしまいます。  またアメリカは日本に比べると、一般的に子供のマナーに関しても厳しく、公の場で走り回ったり、騒いだり、ということは許されません。言葉遣いも幼児の段階から”May I~?”“Thankyou.”“Please.”などを使うようしつけられます。この点でも日本ではかなり甘い印象を受け、子供の代わりにお母さんが「ありがとう。」と答える、という光景がよく見られます。

その米国の幼稚園の先生は、子供への躾とは上記の様なものだと思っています。つまり、そのような躾をされているだろうにも関わらずこんなことをするということは、相当言うことを聞かない子供だと認識されたのでしょう。そして、その認識を伝えられたこのお母さんは困ったのだ。うちの子はそんなに酷い子なのかと。

この例では、その子がそんなに酷い子であったというよりも (その可能性も否定できないが)、そもそもその子は米国での躾を受けていないので米国で期待される振る舞いができていなかったのだ。これは正に私が日本の親と子供感じていることだ。何故日本の親は子供を躾ないのか、そして子供はなぜ振る舞えないのか。期待している躾が違うのだ。

日本における子供に対する躾はここ何年かで変わったのか

上の章にて、日本と米国において子供に対する躾が大きく異なることが分かっていただけたかと思う。これで、私が何故日本の親が子供の躾をしていないと感じるかが理解できた。しかし、これは私の持つ疑問の全てではなかった。

私の親は私にこんな躾をしていただろうか。私は、スーパーで泣き喚いていたのだろうか。覚えている限り、私はスーパーで泣き喚いたことはないし、そういう態度を取ると親に何を言われるか分からない恐怖を感じていたので意図的にそういう行動を制御していたことを覚えている。つまり、上記した米国で期待される振る舞いができていたと思う。もしそうなら、日本の躾は変わったのだろうか。

“何故親は自分の子供を躾けないのか”などで検索していると、2010年くらいからそういった質問が散見される。もしかしたら、そういった質問をするサービスが出てきたのがその時期だったのかも知れない。しかし、ここ最近、”叱らない教育”などという教育放棄を信仰とした宗教の布教が著しいことは認識している。

そして何より不思議なのが、それらの親の親の世代、つまりお爺ちゃんお婆ちゃんの世代が、その躾をしない教育を肯定していると感じるところだ。お婆ちゃんと孫と思われる家族がおり、その孫がスーパーで泣き叫ぶ。あらあら、と言う感じで叱りもしないのである。お前の時代は叱っていただろうに。その子供の親に、今は叱らない教育なんだから叱るなとでも釘を刺されているのだろうか。

更に不思議なのが、それでいてそんな躾の元で育つ子供が、我儘以外の何者でもない者に育つとも微塵も思っていなさそうなところだ。親の面倒を見てくれる子供になって欲しいと思ってみようなら、恐らく、”は?なんで自分のお金を親に使わないといけないの?自分でどうにかしなよ。”という我儘な人間になるだろうに、むしろそうなるように”自由”に育てているのに、そうなるかも知れないとは想像もしていない様に見える。

ともあれ、日本における子供に対する躾が変わったかに関しては、分からない。自分が子供だった頃を思い出すと変わったと思うが、どれだけ客観的なのかも分からない。ここに関しては、正しく理解するにはもう少し考察が必要である。ただ、関西では親は子供に、私が期待する叱り方をしていた。車が来ていて危険な際ですら、”危ないよー”と、自分の子供に轢かれて欲しいのかと思うくらいの情けない注意ではなく、私が期待する叱り方をしていた親を複数回見かけた。上京した田舎の人たちが、”東京さこういう叱らない躾とかいうのをやるんだって聞いたべ”、”これが東京での躾ですよ、知らないんですか”と、自分が受けた躾とは異なる躾を意図的にしている可能性もあると思っている。

結論

米国の親は、躾がとても厳しい。私はそれが必ずしも良いかどうか分からない。実際、殺人やレイプは日本のそれより桁違いに多い訳で、その躾が関係していないのかどうかも分からない。しかし、子供に対する社会的マナーや公共道徳などのしつけにおいて、日本が米国に劣るというのは情けない限りである。