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日本の社会が子供を受け入れていないのではなく、日本の子供が振る舞えていないのだ

日本では振る舞えない子供を平気でレストランに連れてくる。日本は子連れに寛容ではないとよく見かけるが、そんなことは全くない。日本ほど子連れに寛容な国はない。しかし、親はそう感じていない。何故か。

この記事では、何故日本の親が日本が子供に寛容ではないと思うのかを解説します。

日本以外を知らない

まず、大前提として、”日本は”という人で実際に日本以外を知っている人はそう居ない。COVID-19の流行以前の2018年において、日本の国民で日本が発行した有効なパスポートを持っているのは25%に過ぎない。この25%と全く異なる別の25%が過去にもパスポートを所持していたは考え難いので、大体常に同じ25%が過去にもパスポートを所持していたとすると、そもそも日本以外を知る機会がある日本の国民は、日本の人口の25%程度である。

この25%の中で、子供がいる人は更に少なくなる。つまり、そもそも日本以外を知らない人が”日本は”と言っている可能性が高い。恐らく、”欧米では”という記事を見たなどで、”ああ欧米ではそうなのだ”と思っているのが関の山だろう。

米国の現実

私は米国に20年住んでいた。この20年間の中で、子供を見かけた回数は非常に少ない。日本ではほぼ毎日、泣き叫ぶ子供、走り回る子供、そしてそれを制止しない親を見かける。子供が走ってきて私にぶつかりそうになることもしばしばある。米国に住んでいた20年間で、こんな体験は一度あるかないかである。何故か。

米国では、そもそも子供を外に連れて行くことはそうそうない。少なくとも、人が多くいるようなところ、例えばショッピングモールやレストランには子供は連れて行かない。外に連れて行くのは、子供が公の場で振る舞えるようになってからである。公の場で泣き叫んだりせず、走り回ったりせず、親の言うことを聞き、静かにしていられるようになって、初めてショッピングモールやレストランに子供を連れて行くことがあるのである。

何故か。米国の人は、振る舞えない子供は公の場に来るべきではないと思っている。仮にレストラン (そんなに高くないレストラン、例えばファミレスでもである) で子供が泣き叫ぼうなら、めちゃくちゃ怒る。レストランも、静かにするか出ていってくれと言うだろう。振る舞えない子供は公の場に来るべきではないというのが、米国の社会の常識なのである。

この米国の常識は、日本の親にとって子連れに寛容にみえるのだろうか?勿論そんなことはない。では何故、日本は子連れに寛容ではない、海外のようにもっと寛容になるべきと言うのだろうか。

単純に知らないのである。米国がいかに子連れに厳しいかを。米国には、Chuch E Cheeseという子連れ向けのレストランがある。子供向けのメニューや、子供が好きそうなゲームなどが併設されている。子連れはそこにでも行っておけ、ということなのだ。他のところには来るなと。

米国の親は、これに文句を言っているのだろうか?言っていない。米国の親も、振る舞えない子供は公の場に来るべきではないと思っているため、振る舞えるようになる前にはレストランには子供を連れて行かないのである。親がレストランに行きたい時は、ベビーシッターに子供の面倒を見てもらって、親だけで行くのだ。

社会ではなく、子供の差である

日本においては、親が振る舞えない子供を公の場に連れてくるため、社会として子連れを受け入れる場合に、日本と米国とではそれが意味することがそもそも異なるのである。日本では、泣き叫ぶ子供を受け入れることが含まれるが、米国ではそれがない (そもそも親が公の場に振る舞えない子供を連れて行かないため)。

日本と米国において、子連れを歓迎するレストランがあるとする。日本では、泣き叫ぶ子供に対して周りが黙っていることを期待するが、米国ではこれがない。子連れを歓迎することに、泣き叫ぶ子供を浮いけ入れることが含まれていないのだ。泣き叫ぶ子供は公の来るべきではなく、歓迎されているのは振る舞える子供なのだ。つまり、日本の親は、日本の社会により多くを期待しているのだが、それを認識していない。なのにも関わらず、その期待が叶わないことに日本が悪いと思っている。

結局は、親の子供に対する教育の差なのである。最近の日本の親は、子供が公の場で泣き叫ぶことを選んだが、米国の親はそれを選んでいない。米国の親にとって、それは情けないことであり、恥ずかしいことなのだ。日本もそうだったはずだが、今はそれを恥と感じることが無くなったのか、それを恥と感じるべきではないと思うようにしている (本心では恥だと感じていると思うが)。単純に、その差なのである。仮に海外に習えというのであれば、一番それに習うべきなのは親そのものなのである。そこが海外と一番違うところであり、社会や子供ではない。

結論

日本の親は、米国の親とは大きく異なる価値観で子供を教育している。一番大きく異なるのが、公の場で子供がどう振る舞うべきかという部分である。日本の親は、公の場で子供が泣き叫んでも、それを社会が受け入れるべきであり、それは自分の子供に対する躾ができていないとは思わないことにしたのだ。これは米国の躾とは大きく異なる。米国では、それは情けないことであり、恥ずべきことなのである。

そして、その自分の躾の欠落を、社会のせいにしているのだ。社会が寛容になるべきであり、私の躾がなっていないのではない、と。そういう意味では、我儘に関しては米国のそれに追随してきているのかも知れない。