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米国で子どもを育てることは虐待である

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自分の子どもは野球選手になって欲しい

これを聞いて、あなたはどう思うだろうか。自分が子どもの時に野球選手になりたかったのかな、それを子どもと叶えたいというのは素敵、自分が出来なかったことを子どもに押し付けるのは子どもがかわいそう。色々と意見があるだろう。

自分の子どもは米国で育ててグローバルな大人になって欲しい

これを聞いて、あなたはどう思うだろうか。自分が米国で育つ機会が欲しかったのかな、それを子どもと叶えたいというのは素敵。色々と意見があるだろう。

自分の子どもを米国で育てたいということに関しては、野球選手の例よりも負な意見は少ないのではないだろうか。現在の日本でも、英語が話せてグローバルに育った方が、大人になった際に就職などが有利なのは残念ながら事実であろう。しかし、これに関して負の意見が少ないのには理由がある。親の立場の意見が、子どもの立場の意見よりも圧倒的に多いのだ。

野球選手の例に関しては、自分が親として子どもにこうなって欲しいという立場、自分が子どもとして親にこう期待されているという立場、両方の立場に近いだろう。自分の子どもが実際に野球選手になれるように幼い頃から一緒に練習している親、野球選手になるために幼い頃から親と野球の練習をしている子ども、いずれも身近に存在すると思う。

自分の子どもを米国で育てたいという親、米国で育つために親と米国に移住した子ども、恐らくいずれもそんなに身近ではない。前者は、雑誌や子育ての本などで見たり、そういう希望を持った親がいるであろう想像はできると思う。しかしどうだろう。雑誌でもなんでも良いが、米国で育つために親と移住した子どもの話しを聞いた事はあるだろうか。ましてや身近に存在するだろうか。つまり、これに関しては子どもの立場の意見が少ない。

私は、自分の子どもを米国で育てるのは虐待であると考える。厳密には、日本で育てる選択肢があるのにも関わらず、それでも自分の子どもを米国で育てることを虐待であると考えている。これはあまり受け入れられた意見ではない。理由は簡単で、親の立場の意見だけを聞くとそれが良いことの様に聞こえるからである。そして、子どもの立場の意見は少ない。つまり、親の立場の意見のみで子どもを米国で育てることに対する判断が行われているのである。

私はその子どもの立場である。高校生の時に親の都合で米国に移住し、その後米国で長く生活した。自分の子どもは米国で育てたいという親に対して、子どもが持つ意見を共有したい。なぜそれが虐待なのか、理由を知ってもらいたい。そして、虐待をやめて欲しい。

親は知らないことを知れ

これには論理的な問題がある。知らないことは知れない。しかし、知ろうとすることはできるし、知らないことがあるかもしれないという考えを持つこともできる。

米国で子どもを育てたい親は、米国で子どもを育てることに関してどれくらいのことを知っているだろうか。自分が日本で育ったと仮定すると、日本で子どもがどのように育つのかは想像ができるだろう。保育園に行って、幼稚園に行って、小学校に行って、中学校に行って、高校受験をして受かれば高校に行って、センター試験と大学の試験を受けて受かれば大学に行って、いつから就職活動をして…。恐らく手に取るように分かるだろう。小学校にしても、親が買ったキャラクターものの服を着て、ランドセルを背負って、自ら登校する。クラスごとに担任の先生がいて、自分が属する教室に席があり、ホームルームから始まり終わりの会で終わる。

既にドキッとしている方もいるかも知れない。これらは日本の小学校に関して、概要のほんの一部でしかない。これが米国だとどうなのか、知っている親がいるだろうか。もし知らないのであれば、いつ知るつもりだったのだろうか。米国に移住する前か、米国に移住した後か。日本の場合であれば、ランドセルが必要であるのは当たり前過ぎて誰も何も言わないくらいだろう。通学の最初の日にランドセルをしてこない子どもは、先生からどう思われるだろうか。同級生からどう思われるだろうか。親として、自分の子どもがそうならないように、日本で自分の子どもに対してしてあげられることと同様のことを、米国で自分の子どもにしてあげられるだろうか。

答えが”はい”でないのであれば、自身に問うてみるべきである。なぜ自分の子どもを米国で育てようとしているのか。日本でしてあげられるよりしてあげられない可能性がある状況に、なぜ自分の子どもを置こうとしているのか。

例えば、日本に移住してきたばかりの外国人の子どもが、小学校の通学の最初の日にランドセルをして行かなかったとする。子ども自身も、ランドセルというものも知らない。同級生は皆んなランドセルをしている。子どもはどういう気持ちになるだろうか。移住したばかりの国で、自分の知らないことだらけで、親も教えてくれなかった。子どもが家に帰り、親にランドセルのことを伝える。親もランドセルを知らない。ランドセルが必要だと理解しても、どこで売っているのか分からない。ネットで調べて買いに行くも、日本語が話せない。母国に居れば、こんな経験をすることはなかった。

自分の子どもは差別される側であり差別を受ける