不満はその不満の内容を解決しても解決しない
この記事は下書きです
続きを希望される場合は、コメントを残してください。著者のやる気が出ます。
不満をたれる者は沢山いる。その不満をたれる人が自分にとって大事な人であればある程、それを解決しようと感じるのは当然だろう。しかし、たれている不満を解決してもその人は満たされない。なぜか。
この記事では、不満をたれる人は、不満をたれること、そしてその不満とする内容を他人に伝えることが目的なのではない、ということに関して記載します。
不満をたれる理由
- 物事には理由があるように、不満をたれるにはまたその理由がある
- それらの理由は人によりけりである (例: 配偶者が家事を手伝わない)
- それらの理由を原因とし、結果として不満をたれている (例: 政府による子育ての支援が足りない)
- つまり、不満をたれることそのものが目的ですらなく、またその不満の内容も、不満をたれている理由と関係がない可能性がある (例: 配偶者が家事を手伝わないのは、政府による子育ての支援が足りないこととは関係がない)
不満を真に受けることなかれ
- よって、不満をそのまま真に受けることはない
- 尚、不満の内容を解決する提案は、不満をたれる人にとって必ずしも良いこととして認識されない (その人にとっての原因が解決する訳ではない場合があるのだら、そりゃそうだろう)
結論
- 不満をたれているのが大切な人であれば、不満をたれるに至っている理由を理解するべきである
- 不満の内容そのものは、必ずしも不満をたれている原因と関係があるとは限らないし、それが故に不満の内容を解決したとしても不満をたれている原因が解決されるとは限らない