奴らにDEIを先導させるな
いわゆる外資系の会社に勤めている場合、上司達がDEIという言葉を口を酸っぱくして発しているのを聞いているでしょう。なぜ近年になって急にDEIを叫び出したのか。それを理解するには、近年の米国を知る必要があります。
この記事では、米国の社会におけるDEIに関して記載します。いわゆる欧米諸国では似たような状況であると推測しますが、私自身は米国以外の状況を正しく把握していません。特に、DEIを取り巻く状況は、欧州が米国をどう見ているか、そしてその逆があるので、それらを単純に欧米とすると正確に状況が把握できない可能性があります。
DEIとは
DEIとは、”diversity、equity、inclusion”の頭文字を取った造語です。各々の単語を直訳すると、”多様性、平等、含む”になるでしょう 。diversityは以前から叫ばれていましたが、それと同様に重要であると考えられているequalityとinclusionをひとまとめにしたのが、DEIという言葉です。
多様性と平等は、皆さんも馴染みのある言葉で説明の必要はないかと思うので省略します。inclusionは少し翻訳が難しいですが、招待しない、仲間に入れないなどをしないで、皆を歓迎しましょうという意味のものです。
これだけ聞くと、当たり前の倫理観です。なぜこれを今、米国が叫ぶ必要があったのでしょうか。
bro culture
シリコンバレーのtech companyにおいて、数年前から年々bro cultureが酷くなっているという話をよく聞くようになりました。brogrammerという言葉がWikipediaに存在するくらいで、その項目によると、2015年くらいから既に顕著だったようです。
bro cultureとは、日本で言うといわゆるウェイ系の方々に象徴される文化でしょうか (後で記載しますが、この私の意見こそが先入観による決めつけであることを認識して頂けると幸いです)。tech startupが一部の人たちだけ注目されるものでは無くなり、一般的にも流行っているもの、目立っているもの、お金になるものという認識が浸透したことで、そういった方々もtech companyに多くなりました (これは日本でも同じだと感じています)。
ここで問題となったのが、このbro cultureがtech companyに蔓延しており、女性の採用や活躍を妨げているというものでした (厳密にはbrogrammer以外であり、当然女性だけではありませんが、当時どのように考えられていたかを記載しています)。ただでさえ計算機科学で学位を取る女性が少ないのに、更にそれらの方々がその学位を有効活用できるであろうソフトウェアエンジニアなどで就職しないとなると、それはtech companyにとって大きな問題でした。シリコンバレーのtech companyは、倍の給料を出してでも他の会社から優秀なソフトウェアを引き抜きます。tech comapnyにとっては、それがbrogrammerであろうがなかろうがどうでも良く、優秀なソフトウェアエンジニアならなんとしてでも雇いたいのです。
優秀なソフトウェアエンジニアを雇うにはどうしたら良いか。シリコンバレーでは、優秀なソフトウェアエンジニアは既に高額の給料を得ており、他の会社とお金だけで競って優秀なソフトウェアエンジニアを雇い続けるのは会社によって非効率な段階にまできていました。そこで、優秀なソフトウェアエンジニアだけどbro cultureが故にtech companyに就職することを辞めていた方々や、会社の文化で就職先を決める方々を雇うために、tech companyは働きやすい環境を提供することに対する優先度を上げました。
働きやすい環境に対する取り組みが顕著になった
tech companyは、どうやったら優秀なソフトウェアエンジニアが来てくれるかを、働く環境の視点から考えるようになりました。bro cultureが好きな方々も、それに馴染めない方々も、それがどうでも良い方々も、皆が気持ちよく働ける環境が理想です。これを突き詰めた結果、多様性があり、平等で、inclusiveな環境が良いはずだとされていきました。
これそのものは非常に良いことです。皆が気持ちよく働けて、それによって個々がより良い成果を出せるので、会社にとっても良いでしょう。私がtech companyで働いている関係からその業界の視点で背景を記載しましたが、このDEIの流れはtech companyだけでなく、米国における流れになっています。バイデンさんの人選を見ても、それが良く分かるかと思います。
“女性や黒人など人種的少数派などを登用し、「米国の多様性を反映させた」(バイデン氏)人選になるとしている”
– “バイデン政権の閣僚候補は? 初の女性国防長官の声も” (産経新聞)
しかし、長年ずっと米国で仕事をしていた私は、とても強い嫌悪感を感じていました。なぜでしょうか。
なぜincludeする必要があるのか
DEIは、includeするべきだと説きます。さて、このincludeするべき方々は、なぜそもそもincludeされていない体なのでしょうか。それは、その方々がexcludeされているからです。excludeしているご本人は、それを一番良く知っています。だから、”excludeされている方々がいるから、その方々もincludeするべき”、という論理になるのです。
一見とても素晴らしいことを説いている様に見えますが、実際は、過去にしてきた悪事をあたかもそれがなかったことかのように扱い、その悪事に対する解決策を自分で提示して、新規に良いことをしているように見せる、米国の方々が良く使う教科書通りの論理です。いわゆる、不良が犬を拾ったら優しいと思われるが、普通の人が犬を拾っても不良の場合よりも優しいとは思われないのと同じです。
私がexcludeする側であったならば、DEIには大賛成するでしょう。過去の悪事に対する責任を取らずに、更に良いことをしているかのような扱いを受けられる機会なのです。ただ、私はアジア人で、米国において常にexcludeされる側でした。私には、excludeしていた方々の、こんな都合の良い論理に賛成することはできません。
- excludeしてきたから、includeしろと言っていることに気づくべき
- excludeしてきた理由は差別
- それを今になってincludeしろと、excludeしていた時と同じ理由で強制する (やっていることは今までと同じで立場が違うだけ)
DEIはexcludeされてきた方々が先導するべきである
DEI自体に問題がある訳ではありません。excludeしてきた方々が、それを叫ぶことが問題なのです。
diversityを叫び過ぎて止められなくなった
- 大切なのは、相手を尊重すること
- 日本人には当たり前のことだが、米国では当たり前ではない
- lgbtと同様、何が重要なのかを見失っている (lgbtqa+とどんどん長くなっていることに象徴されている)
- やり過ぎだと言えない同調圧力がとんでもない
差別は今でも酷い
- 米国では1970年代まで黒人は法律によって人間ではなかった
- gitのデフォルトのブランチをmainに変えてもそれは変わらないし、黒人を黒人と呼ぶことそのものが差別だと認識しているのと同じ (何がいけないのか分かっていない)
結論
- 米国にはdeiを先導する能力はない
- 差別されいる側こそがdeiを先導するべきで、日本人には今が一番良い機会である